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雨音を肴に、音で熟成するワインの話──小雨の土曜、音更でゴジラが歌う

土曜の午前、雨は低い音で降る

十月三日、土曜。東京の朝はにわか雨の断片が何度も窓を叩き、気温は二十二度まで持ち上がる一方で、湿度は八十五パーセントと空気そのものが湿ったヴェルモットのように重い。北東の風がやや強く、街路樹の葉擦れが絶えず、玄関には傘が帰還している。こういう休日がある。晴れの土曜に行楽があり、屋根のある土曜には音がある。昇り始めるのは遅く、今夜は二十時十九分に、半分に削れた下弦に近い月がようやく東の空に現れる。つまり昼のあいだ月は席を外しており、空の舞台は雨と風が代役を務める。ならば今日は、聴覚の休日にしよう。雨音を肴に、最近いちばん面白い話──「音そのもの」とともに熟成するワインの話である。

「音」の字が住む町で、ゴジラが歌う

北海道十勝地方、音更(おとふけ)町。帯広の北に隣接するこの町は、町名をアイヌ語の「オトプケ」に由来するといい、漢字を当てたその瞬間から、地図の一枚に「音」の文字が住み着いた。十勝川温泉の高台、十勝が丘の南斜面にはぶどうの畑が張りつき、その麓で「十勝が丘ワイナリー」がワインを醸している。運営するのは同地の十勝ぶどう園(中村利雄代表)。自然本来の力を活かすオーガニック栽培を信条とし、病害虫に強い品種「山幸」を丁寧に育てている。

この十勝が丘ワイナリーが、音響機器大手オンキヨーの協力のもと、振動(加振)の技術を熟成に応用していた。読み方そのままだ。セラーの棚のワインに、音を「聴かせる」のである。曲は音更町と縁の深い作曲家、伊福部昭が一九五四年の映画『ゴジラ』のために書き下ろした、あのメインテーマだ。低音のうねりから始まる、あの響き。スピーカーの音圧としてではなく、振動として瓶に与えられ、瓶のなかでは静かに寝ているはずのワインが、微細な波を背中に受けながら時間を重ねていく。その成果が「オトプケ浪漫 ゴジラエディション(山幸2025)」として商品化され、十月二日に報じられた。赤ワインで、発売は十一月三日。その日は新作ゴジラ映画の公開日にあわせて設定されている。町の名前が「音」であり、その町の作曲家の旋律が瓶の揺れになる。偶然としか言いようがないのに、出来すぎている。

振動は敵、それでも揺れる

ここでワイン保存の常識を思い出してほしい。振動は、ワインを眠らせるうえで敵だと言われてきた。長期熟成の瓶は、沈殿が穏やかに積もるのを好み、温度の凸凹、光、そして揺れを嫌う。家の棚に置くなら冷蔵庫の上は避けるように、と案内される理由も、コンプレッサーの微振動が常時加わるためだ。ところが音更のワインは、その常識の「敵」を敢えて味付けとして使った。敵の名前は、ゴジラである。

面白いのは、この発想が実は長いワイン史の延長線上にあるという点だ。スペイン・ビスケー湾では、瓶を海底に沈め、海流の揺らぎと一定の水温で熟成させる海底セラーが知られている。波は、一日中瓶をゆらし続ける。マデイラワインが帆船航海の熱と揺れを経て独自の味わいを得たという説も同じ方向を向いている。揺れは悪者ではなく、時間の混ぜ具合を調整する道具になる。ワインはもともと、揺られながら旅をした歴のある飲み物なのだ。音更のゴジラ熟成は、その長い旅を、セラーのなかで音楽に託して続けている、と考えると急に理屈が立つ。

待つワインと、待たないワイン

一方で十勝が揺らし続ける同じ十月、日本では「待たない」ワインの季節も始まっている。山梨・勝沼のぶどうの丘では、すでに二〇二六年ヴィンテージの新酒が販売に入った。ボージョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー二〇二六年の予約も店頭や通販で受け付けが始まり、解禁日は十一月十九日の木曜日。ドメーヌ・ドリーのボージョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォーなどがその筆頭だ。熟成という時間の重力を感じるワインと、収穫の命をその日のうちに瓶へ移す新酒。十月は、この両端をひとつの月に抱える。海の底と帆船の甲板と、温泉街の高台と、街の酒屋の棚。揺れ方の違ういくつもの時間が、同じ秋の空の下を並走している。

十一月三日に、歌が届く

このワインがどんな味になるのか、わたしはまだ知らない。だがイメージだけは持てる。低い音の振動がポリフェノールとタンニンの分子に微細な衝突を積み重ねてくれれば、構造が均されて角が丸くなるのではないか──そう考えると、伊福部昭の旋律は単なるBGMではなく、何ヶ月も続けられた「振動のレシピ」だということに気づく。ゴジラの咆哮の高揚感を赤ワインに閉じ込め、公開日に開けるという演出は、酒と映画という二つの娯楽を同じ日につなぐ、実に手品師らしい設計である。

今夜の東京では、二十時十九分に半分の月が昇る。雨が上がれば窓で月を肴に、降り続けば雨音を肴に、グラスを傾けてほしい。そのときグラスをわずかに回すと、壁が揺れる微かな音がする。音更の高台では、十一月初旬の公開日を待つ瓶たちがいまも低音の波に揺らされているはずだ。振動は敵だという常識を、町の名前が「音」であるワイナリーが曲げてみせた。来月のこの土曜が雨なら、また雨音を肴にしよう。その日までに、ゴジラが歌っている一瓶が、手元に届いているかもしれない。

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