天使は年に約二パーセントしか盗まない──10月4日「天使の日」、盗まれない泡を飲む

曇りの日曜、十月の光は乳のような濁りを帯びる
十月四日、日曜。東京の空は雲に覆われ、日中の気温は二十三度で頭を打ち止めた。湿度は六十二パーセント。北東の風は相変わらず強めで、雲は低く、街の光は乳のような濁りを帯びて窓辺に降り積もる。いま十六時半を過ぎ、日没まで一時間を切っている。秋はもう中途半端なところにいない。信州ではワイナリーレストランが秋の恵みの季節限定メニューを配し始めたという報せも届き、季節は着実に、深秋へ向かって歩を進めている。
さて、今日十月四日は、語呂合わせの軽やかさで成り立つ記念日──「天使の日」である。十(テン)と四(シ)。輸入酒商のキャンペーンでは、イタリア・ピエモンテの微発泡ワイン「サンテロ」がこの日の看板を担いでいる。天使の日、と言われて酒好きが最初に思い出す言葉があることを、あなたは知っているだろうか。フランス語で「パール・デ・アンジュ」。天使の取り分、である。
「天使の取り分」は窃盗ではなく、複雑さへの前払いである
樽のなかのワインは、眠っているのではなく呼吸している。オーク材の微細な木目の隙間を通して、液はゆっくりと蒸発し、外へ出ていく。フランスのセラーの職人たちはは、この失われていく分を「天使の取り分」と呼んだ。比率はセラーによって揺れるが、年におよそ二から四パーセント。二百二十五リットルの樽一本なら、年間数リットルずつ、目には見えない速度で空へ昇っていく。
この蒸発の面白いところは、セラーの湿度によって「何が先に飛ぶか」が変わる点だ。壁が濡れた湿ったセラーでは空気を満たす蒸気が飽和に近く、アルコールのほうが先に揮発してゆるゆると度数が下がる。逆に乾いたセラーでは水のほうが先に飛ぶ。つまり同じ樽熟成でも、蔵の環境しだいで十年後の味の輪郭が変わってくる。天使はランダムに盗むのではない。蔵ごとにつけられた注文書のとおりに、年二パーセント、丁寧に摘み取っていく。
それなのに、なぜ窃盗ではなく「取り分」なのか。答えは簡単で、天使は代金を置いていくからだ。緩慢な酸化、凝縮、木と空気のあいだを行き来する静かな化学。樽熟成のワインが持つ香りの重層性と口当たりの丸みは、この蒸発という「税」の見返りとして支払われる複雑さである。天使はただの泥棒ではない。前金を受け取り、十年後に複雑さを届ける、気の遠くなるような取引の相手だ。
逆説──瓶で寝る泡に、天使は一升も手を出せない
ここで話を反転させよう。シャンパーニュをはじめとする瓶内二次発酵のワインは、この天使の経済から完全に締め出されている。二次発酵は瓶のなかで行われ、王冠栓や仮栓で密閉された瓶は、ガラスという空気を通さない壁に守られて澱とともに寝る。液が瓶の外に出る機会は、除澱の瞬間のごく僅かを除けば、原理的に存在しない。蒸発する場所がないのだ。
つまりこういうことだ。樽で五年寝かせれば天使はおよそ一割を持っていく。十年寝かせれば二割近くが空のほうへ昇る。だが瓶で十年寝かせたシャンパーニュは、瓶に詰めたその日の分量を、びた一文減らさず保持している。天使にとって瓶は、立ち入り禁止の領域である。神が瓶を作ったのか技術者が作ったのかは知らないが、ワインの世界でいちばん隙間のない財務構造は、間違いなくシャンパーニュの瓶の中にある。
十月四日、「天使の日」。天使に杯を捧げる日でありながら、いちばんふさわしいのは天使が手を出せない泡だ、という倒錯。これが今日の話の骨子である。
目利きたちは、静かな市場を「買い物の好機」に変えている
業界の空気も、面白い方向へ傾いている。米ワイン専門メディアの見出しには、こうあった──「強気の業界人たちは、ワインのスランプを買い物の好機に変えつつある」。市場が静かになると、棚の端に良い物が残る。価格が手の届く高さに降りてきたヴィンテージ品は、待ち構えていた目利きたちによって静かに買い集められていく。悲観の報道と、強気の仕入れ。同じ市場を、片方は終わりの物語として、もう片方は仕込みの物語として読んでいる。
先週末、都内のスパークリング試飲会を巡った日本語のレポートにも「じっくり味わって初めてわかった、買いの一本がある」という趣旨の記述が並んでいた。試飲という行為をよく見ると、それは実にユーモラスな経済である。自分の舌という「天使」を雇い、事前に微細な品質の差を摘み取ってもらい、それから瓶を買う。天使の取り分を惜しむ者ほど、逆に試飲に力を入れる。泡を選ぶ目利きは、みんな自分のなかにも小さな天使を飼っているのだ。
今夜の三本──昼はサンテロ、夜は瓶が持つ全額を
というわけで、今日の三本。日曜の昼の締めに開けたいのは、ピエモンテのサンテロが看板を担ぐモスカート・ダスティ。甘やかな微発泡で、千円台から手が届き、雲の下の午後に合わせて瓶を傾けるにはちょうどいい。夜の主役には、この一〇年代で最も手が届きやすい当たり年に当たる、二〇一五年のヴィンテージ・シャンパーニュ。ポル・ロジェの二〇一五年あたりは、熟した果実の実りと窯焼きパンの香ばしさが一体になり、この瓶で十年の持ち味がそのままあなたの杯に降ってくる。瓶で寝た分だけ、全額を受け取れる。
そして赤を差し置けない。ボルドーの右岸、サン・テミリオンのグラン・クリュ・クラッセ、シャトー・ベレール・モナンジュ。ムエックスの名の知られるネゴシアンの系譜に連なるこのワインは、茸と栗、秋鴨の料理と合わせてこそ右岸の魅力が開く。同じ品評の品揃えにはマルゴーの第四級シャトー・ジスクールの注記も並んでおり、秋の夜の赤の選択肢は、もう目玉焼きのように二面焼け上がっている。
今夜の月は、昇るのがさらに遅い。下弦を過ぎて欠けた月が東の空に顔を出すのは夜半以降になるから、その前に瓶を開けてしまえばいい。天使の日は、一年に一度だけ天使にお裾分けをしなくて済む日である。樽で眠るワインが年に二パーセントを空へ納めるとすれば、今夜あなたが注ぐ杯の中身は、裏書きも削りもない、目の前のひとへの全額だ。







