翁の枡に秋を注ぐ──石和の湯けむりで、甲州ワインは日本語を取り戻す

薄雲の月曜、甲府盆地に二十一度の秋
十月五日、月曜日。山梨・甲府の空には薄い雲が浮かび、気温は二十一度、湿度は五十七パーセント。夏の残像を断ち切った十月初めの光は、もう黄金色に傾き始めていて、朝のうちの薄雲は、夜には星の粒を隙間から覗かせるだろう。月曜は一週間の「改ページ」である。日曜の余韻に背中を押されて机に向かうのではなく、ここから新しい七日間が綴られていく──そう思うと、朝の空気はどことなく新刊の紙の匂いがする。
週の最初の朝に、ふと思い出すのは夜のことだ。日が短くなったこの季節、仕事の終わる十七時はすでに黄昏時であり、ワイングラスに灯りを通す時間が、夏よりずっと早くやってくる。だから月曜の朝には、今夜からの楽しみを一つ、仕込んでおきたい。今日の主役は、その仕込みの話である。
翁無尽──湯けむりの郷に届いた、一本の報せ
山梨県笛吹市、石和温泉。甲府盆地の東、笛吹川の流れに沿って湯けむりが立つ温泉街から、「翁無尽 〜Masu Night〜」と銘打った会の報せが流れてきた。石和の澤田屋が手がける、ヒノキの枡で山梨ワインを飲む交流会である。湯に浸かって、湯上がりの身体で、木の枡に注がれた地元のワインを味わう──聞いただけで、十月の宵の温度が手のひらに蘇る。
まず「翁」の二字に惹かれる。能楽の最古の祝言能は『翁』と呼ばれる。面をつけた老人が舞い、「天下泰平」を祈る、あの静かな儀礼だ。祝いの日の最初に翁を舞う風習が伝えたのは、ある日突然の派手さではなく、年月を重ねた者が持つ落ち着いた喜びである。そして「無尽」。文字通りには無尽蔵。しかし江戸の里や町では「無尽講」という仕組みの名でもあった。人々が少しずつ銭を出し合い、順番に受け取っては使う。頼母子講、あるいは標語──地域の人々が輪になって富と、そして機会を分け合う相互扶助の輪である。
つまり「翁無尽」というこの夜の名前には、二つの古い日本語が刻まれている。祝いの翁と、分かち合う無尽。宴を「講」として結ぶという発想は、実はワイン会の本質そのものだ。一本を囲み、順番に注ぎ、注がれた順に話が巡る。グラスが尽きぬうちに話題が尽きることはない。温泉街の木の香りの中で、その古い輪が今年も回り始めたのだ。
枡は量る器から、味わう器へ
ここで少し、器の話をしよう。枡は本来、量るための道具だった。一升枡は米や酒を測定し、枡酒とは、量られた分をそのまま呷るという作法のことである。四角い枡の縁ぎわに口をつけるのは、丸い盃とはまるで違う体験だ。桟で組まれた木の面は、口当たりを角の形に仕立て、ヒノキの微香が液体の表面にひと膜のように張って、鼻に届く前に香りに「下地」を敷く。
高脚のグラスは、透明さでワインを見せる装置だ。光を透かし、色の階調を読み、脚を持ち上げて角度を調整する。それに対して枡は、見せない装置である。色はほとんど観えない。その代わり、手のひらに木の温度が伝わり、縁が唇に季節の感触を残し、飲むたびに角の位置がわずかに変わる。味覚の前提が組み替えられるのだ。色を失ったワインは、香りと酸と重みだけに戻る。だから目が休まったぶんだけ、感覚は深いところへ降りていく。
そしてこれこそが、あの少し不思議な組み合わせ──「枡でワイン」──のおもしろさの正体だと思う。ワインと聞くと、私たちはどうしても西洋のテーブルを思い浮かべる。ソムリエの白手袋、シャンパン・グラスの立ち上る細い泡。だがヒノキの枡に注がれた白ワインは、その約束事からふっと解放される。舶来の飲み物が、日本の器の語彙を借りて、母国語で話し始める瞬間がある。「ワインなのに、なぜか懐かしい」という感覚は、器が翻訳してくれた結果だ。
甲州という品種の、静かな自信
器の翻訳がうまくいくかどうかは、案外、品種の性格に懸かっている。甲州は山梨に深く根差す日本固有の品種で、皮色の薄いブドウから生まれるワインは、色が淡く、香りは柑橘やハーブに寄り、酸はしなやかで、酒精の押しも穏やかだ。強い樽香や凝縮した果実味を主張するワインなら、木の枡の微香とぶつかってしまったかもしれない。甲州の静かさなら、ヒノキの香りは敵ではなく、和声になる。器と品種が、同じ調に合わせてハミングしている──そう言っていい。
会で注がれるのは山梨ワインだが、机の上でも同じ夜景は作れる。まずグレイス甲州。会の開かれる石和と同じ笛吹市に蔵を構え、山梨のテロワールを研ぎ澄ませた一本だ。薄い黄金色の液体には熟した果実の香りと、底に沈むようなミネラルがあり、枡の縁を通すと、その静けさがいっそう増す。次にシャトー・ジャパン。土屋家がワイン造りを始めたのは明治十年。日本最古級のワイナリーが造る甲州は、歴史の重みを着せず、あくまで清々しい酸で立つ。メルシャンの丸山甲州は、自社の丸山農場のブドウだけで醸す単一畑の余裕があり、山の斜面の朝霧が香りに写り込んでいる。勝沼醸造のマルサンが醸す甲州は、勝沼の丘陵の陽光をそのまま瓶に閉じ込めたような、親しみやすさのなかに芯のある一本だ。
いずれも決して高値の旗振り役ではない。甲州という品種は、いま「静かな自信」の段階にいる。派手な評点よりも、その国の食卓との相性で語られる時代が、少しずつ来ている。温泉街の枡の夜は、その気配を先取りした実験でもあるのだ。
月曜の夜に、翁を招く
湯けむりの郷へ出向くには、この十月初めは絶好のタイミングだ。湯につかり、湯上がりの肌に木の枡の冷たさがほんのり通り、淡い色のワインに灯りの反射が薄く映る。もし今夜の予定が詰まっていて湯治の暇がないなら、それでもいい。家の晩酌で、まず器だけ替えてみてはどうだろう。ヒノキの枡と甲州。色を観ないと決めた瞬間から、飲み方が変わる。
月曜は一週間の改ページであると同時に、誰かと輪を結ぶ日でもある。無尽講は、一人では回らない。だから今週あなたの街で開かれるワイン会の席を、ぜひ一度覗いてみてほしい。ワイン会ナビには、十月の宵に灯りをともす会が各地で並んでいる。一本を囲み、順番に注ぎ、注がれた順に話が巡る。千年前から続くその作法の、たぶんいちばん新しい形だ。
湯けむりの郷で翁が舞い、枡に秋は満ちる。天下泰平とは、今日くらいの、薄雲の月曜の静けさのことかもしれない。乾杯はささやかに、満ちる分は無尽に。







