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甘口の王国で、なぜ争奪戦は「辛口」で起きるのか

十月の月曜日は、週の入口にしてはどこか静かだ。連休の余韻が幕引き、机に向かう者の指はまだ冷たい。朝の空気には糖分よりも鉱物が必要だから、いま一杯欲しいのは、ほのかな甘さではなく、緊張感のある辛口である。

さて、ワイン愛好家の世界でいま、静かな争奪戦が始まっている。ドイツの高級辛口リースリング、いわゆる「グローセス・ゲヴェックス(Grosses Gewächs)」と呼ばれる畑を巡る、コレクターたちの駆け引きだ。海外の専門誌は「The Race to Snap Up Grosses Gewächs Rieslings Has Begun」と報じ、注目すべきボトルのリストまで掲げ始めた。

ここに、一見すると美しい逆説がある。ドイツワインは世界の誰もが「甘口リースリング」を連想する国だ。貴腐と氷結が生む、蜂蜜とアプリコットの伝説。ところが、いま最も熱い視線が注がれているのは、糖を極限まで発酵させきった、鋭く乾いた辛口なのである。王国の中心で、王とは別の器が王座に挑んでいる。

乾いた哲学の正体

グローセス・ゲヴェックスとは、ドイツ最高位の畑(グローセ・ラーガ)から収穫した葡萄を、辛口仕込みで造るワインに与えられる称号だ。畑の格は甘口のカテゴリーと共有しているのに、味わいの方向は真逆。土の重み、酸の刃、熟成が開いてゆく白い花と燻した鉱物。長寿命の白ワインであり、優れたヴィンテージのものは十年、二十年の熟成に耐える。

なぜ今、この辛口たちが争奪戦の的にされているのか。理由は三つ挙げられる。

第一に、希少性だ。グローセス・ゲヴェックスの各畑の生産量はもともと限られ、名門醸造元の枠はさらに狭い。一度買い逃すと、翌年同じ畑の瓶を定価で手にする機会はほぼ来ない。第二に、価格の非対称性。ブルゴーニュやボルドーの名品が投機的な高値で揺れる一方、ドイツの辛口リースリングは、質の極めて高い水準のまま価格が抑えられてきた。賢い買い手は、割安な偉大さを好む。第三に、食卓との相性。辛口の高酸は料理への適応力が桁違いで、白身から豚、和食の繊細な塩気まで包み込む。保管庫に寝かせても、今夜の杯に立たせても、どちらでも恥をかかない。

今宵、手に取りたい一膳

具体的にどんな瓶を眺めればよいか。ドイツ辛口の金字塔なら、モーゼルのプリューム(Weingut Joh. Jos. Prüm)の grauburgunder より先に、ラインガウのロベルト・ヴァイル(Robert Weil)のGGリースリングを挙げたい。完熟した桃の香りを保ちながら、後味は涼やかな石の苦みで閉じる。プファルツではクニュプセン(Knipser)の辛口群が近年称賛を集め、ナーエなら火成岩質の畑を持つエーミール・シャウアー(Emrich-Schönle)が要である。要点はひとつ。産地をモーゼル、ラインガウ、プファルツ、ナーエという「四つの山場」で押さえると、買物の地図が途端に明晰になる。

予算は三、五千円台から十分に戦える。これがこの争奪戦の面白さだ。百万人が参加できる競技ではないが、百人は確実に参加できる。十月にリリースされる新ヴィンテージは冬の間に姿を消す。定価で買える猶予は、季候の移ろいと同じで短い。

甘さを捨てた国が、いま最も輝く理由

振り返れば、ドイツワインの物語は「甘さと戦い、甘さを制御する」歴史だった。収穫期の雨と霧というリスクと共存し、貴腐を味方につけ、糖度計を発明し、糖を芸術にした。その果てに彼らがたどり着いた答えが、糖をいっさい残さない辛口の美学だという。極限まで甘い文化を持つ国こそが、極限まで乾いたワインの頂を築ける。これは、ワインに限らずあらゆる職人の世界に通じる真理に思える。伝統を深く掘った者が、その底から別の川を見つける。

月曜の夜、仕事の初日を締める一杯には、うってつけの主題がある。冷やしたグローセス・ゲヴェックスを開け、第一口で酸の刃を感じ、第二口でその裏の果実の厚みに気づき、グラスが空に近づくころ、自分がいつの間にか「甘くない豊かさ」に魅入っていることに気づく。争奪戦が始まったというニュースは、遠い他国の駆け引きのようでありながら、実は今夜、あなたの手元にも届いている。定価の棚にまだ並ぶ一膳が、それだ。

旬の秋鮭の塩焼きに、栗の渋皮煮に、そしてこれから深くなる夜気に。辛口リースリングの季節は、いま始まったばかりである。

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