俳優がブドウを植える――サム・ニールがニュージーランドワインに刻んだ永遠の傷

俳優がブドウを植える――サム・ニールがニュージーランドワインに刻んだ永遠の傷
木曜日の朝、冷蔵庫を開けて思うこと
七月十六日、木曜日。梅雨明けが近いのか遠いのか、空は白く濁って蒸し暑い。冷蔵庫を開けると、先週買ったソーヴィニヨン・ブランが横たわっている。ニュージーランド、マールボロ。キャップをねじ開けた瞬間に弾けるグレープフルーツとハーブの香りは、このじめじめした朝の空気にこそ似合う。氷を浮かべるのは邪道だと知っているが、グラスに残った最後の一口に氷を落とす自分を許している。木曜日はそういう日だ。週の真ん中を過ぎ、金曜の_finish line_が見え始めた頃の、少し気抜けした朝。
そのソーヴィニヨン・ブランを飲みながら、Wine Enthusiastの見出しを目にした。”Actor Sam Neill Changed New Zealand Wine Forever”。ジュラシック・パークのあの優しい目をした博士が、ワイン産地を変えた? 逆説の匂いがする。俳優がワインを変えるというのは、料理人が農業を変えると言うのと同じくらい、一見すると美談に過ぎないように聞こえる。だが、ニュージーランドという国のワイン史を紐解くと、その美談が産地の骨格そのものを書き換えたことが見えてくる。
ハリウッドの片隅でブドウを考えた男
サム・ニールが最初の畑を買ったのは1993年だった。『ジュラシック・パーク』が世界的ヒットとなり、彼の名前が誰もが知るところになった年と同じである。オタゴ、セントラル・オタゴ。ニュージーランド南島の内陸部で、世界のワイン地図の最南端に近い。そこは当時、ワイン造りなど誰も考えない寒い土地だった。羊と金採掘と、その程度の認識しかなかった場所に、ピノ・ノワールを植えたのである。
ニールが設立したTwo Paddocks(トゥー・パドックス)は、最初は実験に近かった。オタゴの気候がピノ・ノワールに適しているという確証はなかった。だが彼は俳優としての勘のようなものを信じたのだろう——脚本にないセリフを本番で紡ぐあの感覚。誰も書いていない未来を、自分の手で書く。それが彼のワイン造りにも通じている。
オタゴのピノ・ノワールは、その後劇的な成長を遂げる。冷涼な気候、大きな日夜の寒暖差、礫質の土壌。ブルゴーニュのピノ・ノワールとは異なる、より鮮明で赤い果実の輪郭、スパイスの筋の通った味わい。2000年代に入ると、オタゴのピノ・ノワールは国際的なコンペティションで次々と賞を獲り始め、ニュージーランドワインの第二の顔となった。第一の顔がマールボロのソーヴィニヨン・ブランなら、第二の顔はオタゴのピノ・ノワール。そしてその第二の顔が存在するようになった原点に、一人の俳優が立っていた。
セレブリティ・ワインの逆説
ここで知的な問いを投げかけたい。有名人がワインを作ることは珍しくない。フランスではゴンタンの家系が俳優を輩出し、イタリアではスタンリー・ツイックがスーパータスカンを所有し、カリフォルニアではブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーがミラヴァルを買収した。だが、それらの大半は既存の産地に既存のインフラを利用して参入する「資本の論理」である。既に名前の通った土地に、既に名前の通った顔が乗る。ブランドの掛け算だ。
ニールの決定的に異なる点は、産地そのものを創造したことにある。オタゴがワイン産地として存在する以前のオタゴに、畑を作った。地図上の空白に最初の点を打ったのは彼ではなかったとしても、その点を線にし、線を面にしたのは間違いなく彼と、彼と同じ時期に賭けに出た数少ない生産者たちだった。これは資本の論理ではなく、信念の論理である。
俳優がワインを変えることは可能か——という問いへの答えは、したがって、条件付きの「イエス」になる。条件とは、既存の物語に乗るのではなく、新しい物語を書くこと。脚色ではなく、原作者になること。ニールはジュラシック・パークの脚本を書いてはいない。だがオタゴ・ピノ・ノワールという脚本の、最初の章を少なくとも共同執筆した。その差は大きい。
木曜日の夜に開けるべき一瓶
では、今夜何を開けるか。この蒸し暑い木曜日に、サム・ニールの遺産を味わう方法は二つある。
一つは Two Paddocks のピノ・ノワール。オタゴの冷涼な夜が育んだ赤いチェリーとクローブの香りは、クーラーを効かせた部屋で、少し温度を低めにして飲むのに最適だ。二〇二一か二二年のヴィンテージなら、今まさに飲み頃の窓が開いている。肉料理ではなく、鴨のコンフィやラムチョップのハーブ焼きのような、ジューシーでスパイシーな料理と合わせたい。ニール自身が「ワインは楽しむべきもので、威圧するものではない」と繰り返し語っているように、肩の力を抜いて、木曜夜の気抜けした心地よさの中で飲むのがいい。
もう一つは、ニールが開いた道を歩いた他のオタゴ生産者たちのピノ・ノワール。Felton Road(フェルトン・ロード)や Mount Difficulty(マウント・ディフィカルティ)は、オタゴを世界のピノ・ノワール地図に定着させた名門である。これらのワインは、ニールのTwo Paddocksが切り開いた地平の上に立っている。単一の英雄ではなく、産地としての厚みを味わいたい時に選ぶべきだ。
そしてもし、今夜は赤ではなく白がいいというなら、同じニュージーランドのマールボロ・ソーヴィニヨン・ブランでいい。Cloudy Bay(クラウディ・ベイ)でも、何より今朝冷蔵庫にあったあの銘柄でも。オタゴのピノ・ノワールとマールボロのソーヴィニヨン・ブランは、同じニュージーランドという国の北と南、白と赤、朝と夜のような関係にある。片方を知ることで、もう片方が深く味わえる。それもまた、ニールが示した「ワインは楽しむべきもの」という哲学の延長線上にある。
俳優という職業と、ワイン造りという職業
最後に、一つの観察を残したい。俳優という職業とワイン造りという職業は、本質において近い。どちらも「他者の感情を動かすこと」を目的とするからだ。映画は観客の感情を動かし、ワインは飲んだ人の感情を動かす。ニールが両方を手にしたことは、彼が「感情を動かす」という根源的な行為を、二つの異なる言語で実践したことを意味する。
ジュラシック・パークの博士がカメラに向かって語りかけるあの眼差しは、スクリーンの向こうの見知らぬ人に届く。Two Paddocksのピノ・ノワールを注いだグラスが、地球の裏側のテーブルで誰かの夜を少し豊かにする。両者は同じ行為の異なる表現に過ぎない。
七月十六日の木曜日。梅雨明けの気配の中で、一人の俳優が南半球の寒い土地に植えたブドウの物語を思い出しながら、グラスを傾ける。それが今夜の計画である。金曜日はもうすぐそこだ。







