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知らなさに浸る贅沢 〜正解のないグラスを愛でる夜〜

4月24日、金曜日。窓を開けると、春の終わりの、少しだけ湿り気を帯びた風が部屋に流れ込んできました。季節はもう、春という穏やかな名前を脱ぎ捨てて、初夏の気配を纏おうとしています。

カレンダーを眺めれば、もうすぐそこまで黄金週(ゴールデンウィーク)の足音が聞こえてきます。その期待感に胸が踊る一方で、4月という激動の月を全力で駆け抜けてきた疲れが、足首や肩のあたりにずっしりと溜まっているのを感じます。仕事の締め切りに追われ、人間関係の調整に奔走し、正解のない問いに答えを出し続けた一ヶ月。今の私に必要なのは、誰かに認められる成果ではなく、ただ静かに自分を許せる時間なのだと思うのです。

そんな夜、私はワイングラスを手に取りました。けれど、ふと気づいたことがあります。私たちはいつの間にか、ワインを「味わう」ことよりも、「正解を確認する」ことに慣れすぎてはいないでしょうか。

ラベルに記されたヴィンテージをチェックし、有名評論家のスコアを検索し、「この品種ならこういう香りがして、こういう料理と合わせるのが正解だ」という知識のフィルターを通して、グラスの中の液体を判定する。もちろん、知識があることは豊かさの一部です。けれど、その「正解」というノイズがあまりに大きくなりすぎると、純粋な「美味しい」という感覚が、どこか遠い場所へ追いやられてしまうことがあります。

「正しく味わわなければならない」という強迫観念。それは、私たちが社会の中で「正しくあらねばならない」と振る舞い続けている日々の延長線上にあるのかもしれません。今夜、私はその「正しさ」という心地よくない鎧を、そっと脱ぎ捨ててみたいと思いました。

棚の隅に、いつの間にか眠っていた一本のボトルがありました。ラベルに書かれた地名すら、地図で探さなければ分からないような、名もなき地方の小さな生産者が造ったワインです。格付けもなければ、誰が推奨したという記録もない。ただ、今の私の気分に、なんとなく寄り添ってくれそうな色をしていただけの一本。

慎重に栓を抜き、グラスに注ぎます。立ち上がったのは、教科書に載っているような典型的なアロマではありませんでした。雨上がりの野原のような、少し土っぽく、けれどどこか懐かしい、名前のつけられない香り。一口含んでみると、心地よい酸味とともに、言葉にならない「納得感」が喉を通り抜けていきました。

「これは、何のワインだろう」

そう思った瞬間、私は言いようのない贅沢に浸っていることに気づきました。正解を知らないからこそ、私は自分の舌と心だけに集中できる。このワインが何年生まれで、どの土壌で育ったかなどという情報は、今の私にとってはどうでもいい。ただ、「今、この瞬間の私にとって、この味が心地よい」ということ。その直感こそが、何よりも贅沢な真実なのだと感じたのです。

知っていることは、安心を与えてくれます。けれど、知らないことは、驚きと自由を与えてくれます。正解のないグラスを愛でる夜。そこには、誰に遠慮することもなく、自分の感覚だけを信じていいという、究極の解放感がありました。

知識という物差しを捨てて、ただ「好きだ」と感じる心に従うこと。それは、大人の特権であるはずなのに、私たちはいつの間にかそれを忘れていたのかもしれません。正解を求める競争から降りて、ただ自分の感覚に正直になる。それだけで、いつもの部屋が、世界で一番心地よい隠れ家に変わります。

明日からは、待ちに待った休暇が始まります。旅に出る人も、家でゆっくり過ごす人もいるでしょう。けれど、どの場所にいても、どうか自分の感覚を一番大切にする時間を過ごしてほしいと願っています。

さて、最後の一口をゆっくりと味わいながら、来るべき休日に向けて、心の中で静かに乾杯をしましょう。

正解なんてなくていい。ただ、今の私が「いいな」と感じる。そんな、優しくて正直な夜になりますように。

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