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不完全な調和

4月23日。窓を開けると、空気の質が静かに、けれど確実に変わったことに気づく。つい先日まで感じていた、冬の名残を孕んだ乾いた風はもうない。代わりに流れ込んできたのは、どこか湿り気を帯びた、濃い緑の香りが混じる、潤いのある空気だ。春が、単なる「目覚め」の季節から、生命が溢れ出す「lush」な季節へと移ろっていく。そんな気配を肌で感じると、私の心のなかで、言いようのない期待がゆっくりと膨らんでいくのがわかる。

世の中には「完璧なマリアージュ」という言葉がある。ワインと料理、あるいは人と人が、パズルのピースのようにぴたりと嵌まり、互いを完璧に補完し合うこと。それは確かに心地よく, 正解に近い状態かもしれない。けれど、私はどうも、その完璧さにどこか息苦しさを感じてしまう。正解がある場所には、安心はあるけれど、驚きはないからだ。

私が本当に惹かれるのは、むしろその逆にある「不完全な調和」だ。例えば、料理の味からすれば少しだけ外れているけれど、その場の盛り上がりや、誰かの屈託のない笑い声には不思議と心地よく馴染んでいるワイン。あるいは、最初は気まずい沈黙や、価値観の食い違いによるぎこちなさがあったはずなのに、時間が経つにつれてそれが「お互いの違いを面白がる」という、贅沢な安心感に変わっていく会話。そんな、少しだけ不協和音が混じるからこそ生まれる、有機的で、かけがえのない調和に、私は何よりも心を動かされる。

ワインについて語る時、私たちはつい、格付けやヴィンテージ、あるいは「テロワール」といった正解を求めがちな言葉に逃げてしまう。けれど、私にとってのワインの正解は、そんなラベルの中にはない。大切なのは、今この瞬間に、隣に座っている誰かと笑い合いながら、ふと口にした一杯が「あぁ、いま、ちょうどいいな」と感じられるかどうかだ。たとえそれが、ワインショップの隅で誰にも気づかれずにいた安価なボトルだったとしても、その場の空気が温かく、対話が誠実であれば、それは世界で一番贅沢な味わいになる。ワインという飲み物は、教養を披露するための道具ではなく、人と人の距離を心地よく近づけるための、ただの「きっかけ」であってほしいと思う。

私たちが集まる場所は、いつも少しだけ騒がしくて、整理されていなくて、いい意味で「不完全」だ。洗練された振る舞いができる人ばかりが集まれば、そこには美しい静寂があるかもしれない。けれど、私が心地よいと感じるのは、もっと不器用で、飾らない、人間味に溢れた風景だ。異なる背景を持つ人々が、それぞれ違う色の意見を持ってぶつかり合い、最初は小さな火花が散る。けれど、その不協和音こそが、実は心地よいリズムへと変わるための前奏曲なのだ。誰かが不意に漏らした弱音に、別の誰かが不格好な共感を示す。そんな、磨かれていない人間同士の触れ合いが、時間をかけて一つの大きな調和へと溶け込んでいく過程に、私はたまらなく愛おしさを感じる。

近いうちに、またワインを酌み交わす時間を設けるつもりだ。それは、誰にでも好かれる「正解」を提示するような、洗練されたパーティーではないだろう。きっと、ワインの銘柄がバラバラで、話題もあちこちに飛び火し、準備もどこか不十分な、美しくも乱雑な集まりになる。けれど、そんな「不完全な調和」こそが、今の私たちが一番必要としている贅沢なのではないかと思う。不器用なまま、飾らないまま、ただそこに集まり、心地よい不協和音を分かち合う。そんな、温かな時間が訪れるのを、私は静かに待っている。

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