窓を打つ雨と、雨を知らない畑 ── 九月の日曜、〈最も乾いた大地〉のワイン

窓を打つ雨と、雨を知らない畑 ── 九月の日曜、〈最も乾いた大地〉のワイン
雨音だけが響く日曜の朝
九月最初の日曜日。窓の外では、まとわりつく湿気を含んだ雨が、絶え間なくガラスを叩いている。朝のうちに名残の青空が見えたのに、いつの間にか空は鉛色に沈み、南寄りの風が勢いを増して、軒下の洗濯物を取り込む手を慌てさせた。セミの声はもうほとんど聞こえない。聞こえるのは雨音と、風が街路樹の葉を乱す音だけ。湿度はほぼ飽和点に達し、玄関を開けた瞬間に、夏の残滓が湿った塊となって部屋の奥まで流れ込んでくる。この日、東京の空はとことん「濡れている」のだ。
濡れた日曜は、どうしても室内の時間が長くなる。窓を拭き、季節の衣替えの箱を開き、ふと珈琲の湯気の向こうで空を見上げる。そんな静かな時間に、ふとした疑問が浮かんだ。雨に閉ざされたこの日曜の反対側に、この星には「雨がほとんど降らない大地」があるはずだ。その大地で、いったい何が育っているのだろう。
「最も乾いた場所」で、ブドウは繁栄している
窓の外の雨とは対極の見出しが、今週の海外ワインメディアに躍っていた。ワイン用ブドウは「地球上で最も乾燥した場所のひとつ」で繁栄している、という報告である。一見すると逆説的だ。ブドウの木はみずみずしい果実で覆われた作物という印象が強く、てっきり水を欲しがるものだと思い込んでしまう。ところが本当は、ヴィティス・ヴィニフェラは乾燥への耐性が非常に高く、世界中のワイン用ブドウ畑の多くが、雨の少ない乾燥気候の地に立っている。
理由は味に尽きる。水分が潤沢すぎる畑では、果実は薄く、淡く、水っぽく膨らむ。一方、水が限られる畑では、ブドウの木は生存のために根を深く張り、叶えるべき果実へと養分を集中させる。皮は厚くなり、色は濃くなり、香りの化合物は凝縮する。適度な「乾き」というストレスこそが、ワインの味の濃度を引き上げる最大の装置なのだ。雨は病気を呼び、味を薄める。乾きは根を深くし、味を濃くする。雨の日曜にこそ考えたい、雨とブドウの関係である。
フミリアのモナストレル ── 三百ミリの大地が残した古樹
その原風景が、いちばん鮮やかに見えるのがスペイン南東部のフミリアだ。地中海に近い内陸の高原で、年間降水量はわずか三百ミリ前後とされる乾燥地帯。夏の昼間は灼けつくように暑く、夜はぐっと冷える。ここで主役を張るのがモナストレル(フランス名ムールヴェードル)という黒ブドウで、熟すのが遅く、日照と熱を欲しがる品種だけに、乾燥した強い陽射しの土地こそが持ち味を発揮する。
フミリアには、ワイン愛好家の胸をときめかせる事実がある。害虫フィロキセラの到達が遅く、二十世紀の大半を免れていたため、接ぎ木されていない自根の古樹が畑に残っていたのだ。砂礫の畑に根を深く張った五十年、八十年のモナストレルは、乾いた土地と長い年月が織り上げた、いわば「大地の記憶」である。ボデガス・フアン・ギルの「18ヶ月(ディエス・オチョ)」は、そんな土地の力を存分に感じさせる一本で、黒い果実の濃厚さの奥に、灼けた大地と香草のニュアンスが層をなす。同地を代表するカサ・カスティージョの「ラス・グラバス」なら、砂礫畑らしい緊張感とエレガンスで、この産地の「濃さ」が必ずしも無骨さではないことを教えてくれる。
カファヤテのトルロンテス ── 高原の乾燥が保つ透明な香り
乾燥の物語は、アンデスの麓にもつづく。アルゼンチン北部サルタ州のカファヤテ周辺、カラチャキ谷では、標高千七百メートルを超える畑でブドウが育つ。空気は痩せて乾き、紫外線は強く、昼と夜の温度差はきりりと大きい。極端な乾燥ゆえに病害がほとんど及ばず、ぶどうは清潔なまま、ゆっくりと熟していく。ワイナリーのコロメは一八三一年の創業と伝わる老舗で、その畑は三千百メートル超にまで及び、世界でも有数の高所に立つ。乾いた大地と高い空の下で育つトルロンテスは、薔薇やジャスミンを思わせる華やかなアロマを放ちながら、口に含めば乾燥と冷涼が生んだみずみずしい酸が輪郭になる。香りの濃さと味わいの清らかさが同居する、この土地だけの魔法だ。
ネゲブの夜明け ── 砂漠に一滴を届ける技術
さらに足を進めれば、文字どおりの砂漠に突き当たる。イスラエル南部のネゲブ砂漠。ここでは、点滴のように水を与える点滴灌漑の技術が生まれ、砂漠の畑が現実になった。その砂漠の縁に立つのがヤティール・ワイナリーで、標高六百から九百メートルの高地に広がる畑のブドウから、「ヤティール・フォレスト」をはじめとするボトルが生まれる。砂漠の名を冠した土地のワインが、果実味の豊かさと同時に、意外なほど整った構造と緊張感を備えていることに、開けた瞬間に誰もが少し驚かされるはずだ。
濡れた日曜に、乾いた大地の果実を
夜になれば、窓を叩く雨はまだ続いているだろう。だが、こんな日にこそ乾いた大地のワインは美しい。雨音の中でグラスに注げば、フミリアのモナストレルは灼けた土地の濃密さを、カファヤテのトルロンテスは乾いた高原の透明な香りを、ヤティールのボトルは砂漠の夜が澄ます静けさを、それぞれ運んでくる。雨に濡れた日曜のテーブルに、雨を知らない大地の果実。この対比こそ、ワインという飲み物の奥行きの証明だ。
明日からはまた、仕事の波と湿った通勤電車が戻ってくる。その前に、本日この一本を。「大地がどれだけ厳しくても、根を深く張れば美しく実れる」という確かな証拠を、乾いた大地のワインは静かに教えてくれる。窓の外の雨が止まないうちに、ぜひ開いてほしい。九月の夜は長い。







