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境界を渡る葡萄――ウェールズという「次の地図」が書き換えるワインの常識





境界を渡る葡萄――ウェールズという「次の地図」が書き換えるワインの常識

境界を渡る葡萄――ウェールズという「次の地図」が書き換えるワインの常識

梅雨の火曜日、地図の端を思う

六月の火曜日。梅雨前線が日本列島を覆い隠し、窓の外は乳白色の光に溶けている。傘を差して駅まで走る人々の足元に、水たまりが小さな空を映している。こういう日に、私は地図を眺める癖がある。ワインの地図だ。ボルドー、ブルゴーニュ、トスカーナ、リオハ――馴染みのある地名が並ぶその地図には、しかし、ここ数年で新しい国境線が引かれつつある。

今朝、目に留まったのは「Welsh Wine Would Like Your Attention, Please」という見出しだった。ウェールズのワインが、あなたの関心を求めている。お願いだから、聞いてくれ。その控えめでありながら切実な声に、私は足を止めた。

世界が「分類」を見直す時代

同時に流れていたのは、もう一つの記事――「Why the World’s Most Iconic Wine Regions Are Revamping Their Classifications」。世界の最も象徴的なワイン産地が、なぜ今、自らの分類を見直そうとしているのか。ボルドーの1855年の格付けから始まる物語は、一世紀半を経て、地層のように積み重なってきた。しかし気温は上がり、ブドウの成熟期は前にずれ、かつて「二級」だった畑が「一級」の顔をしつつある。地理の上で引かれた線が、ブドウの根の前では意味を失いつつあるのだ。

この二つの記事を並べて読んだとき、私はある直感を覚えた。ワインの世界地図が、いま書き換えられている。しかもその書き換えは、中央からではなく、縁から始まっている。ウェールズはまさにその「縁」だ。

ウェールズという、もう一つの「北」

ウェールズとワイン。多くの読者は、その組み合わせに違和感を覚えるだろう。ウェールズといえば、ドラゴンを抱いた旗、詩人ディラン・トーマスの国、そして何よりも雨の国である。年間降水量はボルドーの二倍近い。ブドウ栽培に適した土地ではない――それが、長い間の常識だった。

だが、その常識が崩れつつある。気温の上昇は、かつて「北部すぎた」土地を、突然「ほどよい」土地へと変えている。ウェールズのブレコン・ビーコンズ周辺に広がる畑では、ソーヴィニヨン・ブランやピノ・ノワールが、かつてない熟度で実をつけている。そこで生まれるワインは、キリッとした酸と、ミネラルの骨格を持っている。まるで、雨という欠点が、逆に「繊細さ」という武器に変わったかのようだ。

ウェールズには、古い「パリー・ヴァインヤード」という畑がある。19世紀に植えられたブドウの記録が残るが、本格的なワイン造りが始まったのは1990年代以降だ。歴史の浅さは、裏を返せば「しがらみのなさ」でもある。ボルドーのように、何世代にもわたる相続争いや、格付けの呪縛に縛られていない。畑に立つ人々は、ただ「ここで何が育つか」だけを問うている。

97点の衝撃――DWWA 2026が示す「新たな覇者」

今年のデカンター・ワールド・ワイン・アワード(DWWA)2026で、「Platinum winners: Thrilling 97-point wines」という見出しが踊った。97点というスコアは、かつてフランスとイタリアの既存産地が独占していた領域だ。しかし今年のプラチナ受賞リストには、従来の「王道」だけではなく、名もなき生産者の名が混じっていた。

審査員たちが何を味わったのか。それは、おそらく「期待の裏切り」だ。ラベルを見ずにグラスに注がれたワインが、舌の上で想定外の深みを見せたとき、専門家たちは点数を上げざるを得なかった。それが97点の意味だ。名前ではなく、中身が語った。

ウェールズのワインが、今年のDWWAでプラチナを獲ったわけではない。しかし、この「点数の再配分」が起きているとき、次の97点がウェールズから生まれない保証は、どこにもない。

「ワインは2040年にはジャズのようになる」

WineNewsが報じた記事に、あるイタリアの生産者の言葉があった。「2040年のワインは、ジャズのようになるだろう」。私はこの比喩が正鵭を射ていると思う。ジャズは、楽譜からの逸脱が価値を生む音楽だ。主題があって、コード進行があって、しかし本当の魅力は「そこからどこへ飛べるか」にある。ワインも同じになりつつある。アペラシオンという楽譜、テロワールというコード進行、その上で何を表現するかは、生産者の即興に委ねられている。

ウェールズのワインは、まさにその即興だ。誰もが弾き方を知っている曲ではない。譜面もない。しかし、だからこそ、初めて耳にする旋律に心が動く。

梅雨の火曜日に、まだ見ぬグラスを想う

雨の音が窓を叩いている。この湿気た空気のなかで、私は冷ややかな白ワインを想像している。それがウェールズのソーヴィニヨン・ブランだとしたら。ボルドーのハーブのような草々しさではなく、もっと澄んだ、朝露のついた苔の香りがするかもしれない。ミネラルが舌の中央を真っ直ぐに走り、最後に白胡椒のような微かな刺激が残る。雨の国で育ったブドウは、雨の日のグラスに、どんな物語を注ぐだろうか。

ワインの世界地図は、中心からではなく、端から塗り替えられる。それは、ウェールズという小さな「端」が、今、声を上げている理由でもある。「Welsh Wine Would Like Your Attention, Please」――どうか、聞いてくれ。その声は、地図の端から、しかし確かに、ワインの未来を告げている。

次のグラスのために

DWWA 2026の97点ワインを探すのもいい。しかし、もし機会があれば、あえて「知らない産地」のラベルを手に取ってみてほしい。ウェールズの白も、イギリス南部のスパークリングも、あるいは韓国のソウルで注がれるローカル・ワインも、すべて同じ地図の上にある。一つの線を渡るだけで、味わいの辞書は書き換わる。

梅雨が明ける頃、私はウェールズのワインを開けたい。雨の記憶がまだ残る頃に、雨の国のブドウが、太陽の下でどう変身するかを確かめたい。境界を渡る葡萄は、これからも増える。そのたびに、私たちの地図は、ほんの少しだけ広くなっていくのだ。


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