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木曜日の避暑地に、半世紀の「V」を手放す夜 ―― 評論家マシュー・ジュークスを偲び、ムートン・ロスチャイルド 1945 を想う

木曜日の避暑地に、半世紀の「V」を手放す夜 ―― 評論家マシュー・ジュークスを偲び、ムートン・ロスチャイルド 1945 を想う

― 残暑、夕立を待つ午後、そして 1945 年の勝利の印 ―

八月十三日、木曜日。東京の午後は、嘘のように静かだ。カレンダー通りに出勤した人々は、窓の外の陽射しに目を細め、冷房の効いたオフィスでエクセルと格闘している。梅雨が明けてから三十日以上、ここ東京は灼熱の監獄と化している。アスファルトは白く乾き、ビルの谷間から立ち上る陽炎が、信号機の赤を少し滲ませる。こんな日は、思考も凝り固まる。だからこそ、わたしは自分のオフィスで、敢えて冷房を二十七度に設定し、窓を少しだけ開ける。遠くで、積乱雲がこちらに向かってくるのが見える。八月の木曜日にだけ許される、思考の贅沢だ。

今週、ワイン業界にひとつの訃報が届いた。イギリスを代表するワイン評論家、マシュー・ジュークス(Matthew Jukes, 1967-2026)の死去である。彼の評は、しばしば辛辣で、しばしば優しい。パーカーのように世界を塗り替えるような巨大点数こそ付けなかったが、彼の「これだけは飲んでおけ」という短い一文は、ロンドンのワイン商の棚を何度も書き換えた。享年五十八歳。まだ若い。ワインという飲み物が、これから何十年かけて変わっていくかを、もう少し見ていたかったはずだ。

評論家という「言語」が消えるとき

ワインの評論家とは、突き詰めれば「舌と記憶と語彙の三つ巴」だ。飲んで、覚えて、語る。この三つを半世紀近く持続できた人間は、世界でも決して多くない。マシュー・ジュークスの訃報に接して最初に感じたのは、ある種の喪失ではなく、ひとつの時代の「かたち」の終わりだった。

SNS が勃興して以降、ワインの感想は十四文字のテロップに圧縮され、テイスティング・ノートは「キャッチーさ」を競うようになった。 YouTube のテイスティング動画、TikTok の三十秒レビュー、Instagram の親指を立てたアイコン。評論家の役割は、もはや「どれを薦めるか」ではなく、「どれをバズらせるか」へと静かに変質している。

その流れのなかで、長年をかけてひとつの蔵、ひとつの畑、ひとつの年を追い続けた評論家たちが、ゆっくりと退場していく。マシュー・ジュークスも、そのひとりだった。彼の訃報は、わたしたちに「もう戻らない何か」を教えてくれる。ワインの味わいは変わらない。だが、それを「言葉にする」人間が減っている。

ムートン・ロスチャイルド 1945 ―― 「V」のラベルが、今もなお鳴り響く理由

評論家の死を悼むときに、わたしはいつもムートン・ロスチャイルド 1945 を想う。一九四五年のボルドー格付けでは「二級」に留まったこのシャトーが、一九七三年の例外規定で「特級」に昇格したとき、当時のフィリップ・ド・ロスチャイルド男爵は「第一級になれなかった。昇格を望んでいた。しかし、ミュステールではなはだしい困難を伴った ―― (しかし)遂に第一級になることもできた」と書き残した。

一九四五年。第二次世界大戦が終結した年。この年のムートンは、ボトルに「V for Victory(勝利のV)」の文字を刻んだラベルを採用した。フィリップ男爵自ら、勝戦の印を一本一本のボトルに焼き付けたのだ。以来、この年は「戦勝のワイン」として世界中のコレクターに求められ続け、八十年経った今でもなお、クリスティーズのオークションテーブルで他の追随を許さぬ評価額を叩き出している。

評論家マシュー・ジュークスがもしこのボトルを前にしたら、何と言っただろう。「これは、テロワールが勝った年だ」と言うだろうか。あるいは、「これは、ラベルが勝った年だ」と言うだろうか。あるいは、「これは、男爵の決断が勝った年だ」と言うだろうか。答えはいずれも正しく、いずれも足りない。一九四五年のムートンを「語る」ためには、舌、記憶、語彙の三つが同時に必要だった。ジュークスほどの書き手であれば、ひとつのセンテンスにそれを閉じ込めたはずだ。

八月の木曜日に、ムートンの代わりを務めるもの

当然ながら、誰もがムートン・ロスチャイルド 1945 を開けられるわけではない。市場価格は軽く百万円を超える。家庭の冷蔵庫に鎮座する一本ではない。では、今夜のわたしたちは何を飲めばいいのか。答えは、ジュークスが何度も書いてきた一言に集約される。「 Don’t overthink it. Just drink. (考えるな、飲め)」

残暑の木曜日に、ムートンの代わりに据えるべきは、まずは「同じボルドーでも、別の時間軸」を持つ一本だ。 1953 年のビンテージ、シャトー・カロン・セギュール。エリザベス二世の戴冠の年に当たり、稀少な長期熟成ボルドーとして今もなお愛好家を惹きつけてやまない。あるいは、ラフィット Rothschild の 1985 年。 phylloxera(フィロキセラ)禍からの復興期を象徴する一本で、価格も一九四五年のムートンよりはずっと手に取りやすい。

もうひとつの選択肢は、ボルドーではない「時間軸の長い一本」だ。ドイツのモーゼルのリースリング・トロッケン。ハンガリーのエグラー・ブルガリー。いずれも、長熟に耐える品種として知られ、八十年後の食卓にも美しい酸とほのかな甘みを届けてくれる。

しかし、もっとも「ムートンの精神」に近いのは、ポルトガルのヴィンテージ・ポートだろう。一九四五年のポルトは、ムートンの「V for Victory」と同じく、終戦直後の混沌から立ち上がる「勝者の一本」として生まれている。価格は格段に手ごろで、栓を抜いた瞬間に立ち上る凝縮感は、ムートンの代替として胸を張って勧められる。

評論家が残した「言語」を、飲み手であるわたしも引き受ける

マシュー・ジュークスの訃報が、わたしに教えてくれたのは、ワインの評論という仕事が「ボトルの中身」と「ボトルを取り巻く物語」をつなぐ接着剤である、ということだった。接着剤がなければ、中身はただの液体に、物語はただの昔話に戻る。接着剤を作り続けてくれた人間が減っていく世界で、わたしたち飲み手は、その接着剤を自分で調合する訓練を始めるしかない。

今夜、冷房の効いた部屋でグラスを傾けながら、自分自身の短いセンテンスを作ってみよう。「これは、暑い夏を生き延びた年のぶどうだ」。それだけでいい。「これは、戦争が終わった年のぶどうだ」。それだけでもいい。小さな言語の断片が、わたしたちの舌の上に残る味わいに、肉付けをしてくれる。

評論家がいなくなっても、ワインは消えない。消えるのは「誰かが代わりに語ってくれる」という安易な期待だけだ。わたしたちは今夜、自分のグラスに詰まった物語を、自分の言葉で紡ぎ直す。ムートンのラベルに刻まれた「V」は、半世紀前の勝利の印であると同時に、わたしたち一人ひとりに対する「 Vino(ぶどう酒)の、V 」、すなわち「味方を覚えておけ」という呼びかけでもある。暑さに負けず、木曜日の夜に、グラスを傾けよう。

ムートン・ロスチャイルド 1945 は、まず手が出ない。ならば、今夜はヴィンテージ・ポート 1945 か、あるいは 1970 年のカリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニヨン ―― かの「パリスの審判」の勝者、 Stag’s Leap Wine Cellars のカベルネを開けて、評論家たちの仕事を讃えるのも一興だ。ただし、栓を抜く瞬間だけは、静かに。評論家たちの長い沈黙に敬意を表して。

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