正解のない、心地よい失敗

静まり返る部屋の中で、私は冷や汗をかきながら、どうにかコルクを救出しようと格闘すること十分。ゲストたちは、私のもがく姿を困惑した表情で眺めていました。そのときの私の心中は、「ホストとして完璧な振る舞いをしなければならない」「ここでスマートにボトルを開けて、格好いいところを見せなければ」という、強迫観念に近いプレッシャーでいっぱいでした。ワインという、ともすれば「正解」が厳格に存在する世界に足を踏み入れたとき、人はいつの間にか、その正解に縛られてしまうものです。
もともと、ワインにまつわる知識というのは、ある種の「壁」のようなものだと思っています。どの品種にどの地域の料理を合わせるべきか、適正温度は何度か、グラスの形状はどうあるべきか。そうした「正しい作法」の積み重ねは、心地よいガイドになる一方で、時に私たちを萎縮させます。
例えば、誰かが「このワインは〇〇のような香りがしますね」と言ったとき、それに同意できない自分に気づくと、急に不安になります。「正解」を答えないといけないという緊張感が、会話の自然な流れを止めてしまう。本来は、ただ心地よい時間を共有するための飲み物であるはずなのに、いつの間にか「正解を当てる試験」のような空気が流れてしまうことがあります。そんなとき、会話は深まりはなくなり、表面的な知識のやり取りだけで終わってしまいます。
しかし、先日の「コルク事件」のあと、予想外の展開がありました。あまりに情けない私の姿に、友人たちが吹き出したのです。「いいよ、そんなに必死にならなくて。むしろその不器用さが面白いし、もう適当に開けちゃいなよ」と。そうして、結局は強引に開けたワインを、適当なグラスに注いで飲み始めました。
さらに, 合わせる料理も予定していた凝ったメニューが間に合わず, 急遽, コンビニで買った安い鶏の唐揚げを皿に盛り付けました。高級な赤ワインに, 安価な揚げ物。ワインの常識からすれば, これは明らかな「間違い」です。私は内心, 「こんな不作法なペアリングをさせたら, ワイン好きの友人に失望されるだろう」と戦々としていました。
ところが, 一口飲んだ友人が, 「あれ, この油っぽさとワインの渋みが, 意外と心地よく馴染むね」と呟きました。それをきっかけに, 「実はコンビニの〇〇と合わせたら最高だった」とか, 「ルールを無視して飲んだときに一番美味しく感じた記憶がある」といった, 個々人の「心地よい失敗」の話で盛り上がり始めたのです。完璧に調合されたペアリングを提示されたときよりも, ずっと笑いが多く, 人間味のある, 温かい時間になりました。
この経験を通じて, 私はホストとしての哲学を少し変えました。私の目的は, ゲストに「すごいホストだ」と思わせることではなく, ゲストが「ここではありのままでいい」と感じられる空間を作ることです。
格好をつけることは簡単ですが, 自分の至らなさをさらけ出すことは勇気がいります。けれど, その隙間があるからこそ, 人は安心し, 心を開くことができる。正解を追い求めるのではなく, 心地よい間違いを楽しみ, 偶然の発見を分かち合う。それこそが, 食卓を囲む本当の贅沢なのではないかと思うようになりました。
今は四月。空気の冷たさが和らぎ, 街が柔らかい色に染まり始める季節です。
もし, あなたが今夜ワインを開けるなら, どうか正解を忘れ, ルールを脱ぎ捨ててみてください。少し温度が高すぎても, 料理が似合っていなくても, それがあなたにとって心地よいと感じるなら, それがあなたにとっての正解です。
不完全なままの, 心地よい夜を。







