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猛暑の東京で22,500ドルのグラス——『パリ裁判』の記憶が今もなお注がれる理由





猛暑の東京で22,500ドルのグラス——『パリ裁判』の記憶が今もなお注がれる理由

猛暑の東京で22,500ドルのグラス——『パリ裁判』の記憶が今もなお注がれる理由

水曜日の午後、ビルの谷間から差し込む光

八月五日、水曜日。午後三時過ぎの外苑前あたりを歩いていると、アスファルトから立ち昇る陽炎が、まるで地面そのものが呼吸をしているかのように見える。スーツの上着を脱ぎ捨てたビジネスパーソンが、ポテトチップスの袋を片手に自販機の影に滑り込む。自動販売機が唸る小さなモーター音すら、耳を澄まさなければ聞こえないほど、街は静かに夏を被っている。

そういう日に、ふと冷たいワインのことを考える。冷蔵庫で十二時間眠らせた白ワインでも、グラスを伝う雫が頬に触れる感触は、この猛暑には届きにくい。それでもグラスを持つ理由は、もう一つ別のところにある。本日のコラムは、そんな「冷たさ」とは別の温度を持つグラスから始まる物語だ。

22,500ドルの一滴——クリスティーズが刻んだ新たな価格

昨日のことではない。ニューヨークのクリスティーズが、今まさに歴史を書き換えようとしている。オークションのカタログをめくる指先に、革手袋の柔らかい手触り。会場の天井は六メートル、競売人の声が低い木製のパーテーションを越えても反響しない。その静寂の只中で、錘のついた木槌が『Stag’s Leap Wine Cellars, S.L.V. Cabernet Sauvignon, Napa Valley, 1973』の一ページを開く。

一九七六年、五月二四日。スティーヴン・スパリューが仕掛けた『Paris Wine Tasting of 1976』、通称パリ裁判。ジャック・ラシー=ブーシエ・ドゥ・ローラン・ギヨーム・モエ社から提供され、イギリスとフランスのトップ・ソムリエが十一点満点で付けた点数は、フランスワインの権威を静かに、しかし決定的に裏切った。ワイン史の寵児となったのは、ナパ・ヴァレーの隠れたカベルネ・ソーヴィニヨンだった。

それから五十年。当時のボトルはすでに飲まれた後も、その物語をまとった同年代のものが、わずか数本だけ世界に現存する。クリスティーズの今回のレコード価格、二万二千五百ドル。為替と諸手数料を加えれば邦貨三百五十万円超。まさに、一口分の一滴あたりの価格は、純金のアクセサリーのそれと肩を並べる。

しかし、である。今回の落札価格が示しているのは、ワインが「投資対象」だという一面だけでは決してない。ニューヨーク・タイムズとディキャンターが伝えたこのニュースの背後で、同じステージに並べられたのは、シャトー・ムートン・ロスチャイルド一九八二、そしてDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)リシュブ一九九〇だった。世界のコレクターたちは、競い合うように札を切った。彼らが欲したのは、グラスの中の液体ではなく、液体が「指している」物語の方だと、私は思う。

猛暑の東京で、私たちはなぜあのグラスを求めたくなるのか

話は変わる。八月五日の東京である。街角の小さなワインショップで、店長が夏用の白ワインを並べ替える横で、一人の女性がカウンターに立つ。彼女は問う。「今日はソムリエさんが選ぶ一本をください」。ソムリエは迷うことなく、一九八九年のブルゴーニュ・シャルドネを冷蔵庫の奥から取り出す。彼女が次に言うのは「ありがとう」ではなく、「どうしてその年なのですか」。

優れたソムリエは、ただ高いワインを勧める商売人ではない。ボトル一本の向こう側にある時間の堆積を読み解き、その日その日の客の一日に、最もふさわしい「物語の一端」を渡す仕事人である。それは、五〇年前のスティーヴン・スパリューが、勝敗のつくはずのないテイスティングを仕掛けた瞬間に立ち会った、あの敬意に近い。

猛暑の午後、汗ばんだ首筋に冷たいガラスが触れる感触。それは冷たいという物理現象にとどまらず、五〇年前のテイスティング会場で、あるいは数千年前のエトルリアの丘陵で、あるいは昨日のオークション会場で、何人もの人間が「この液体を注ごう」と決めた時間の総体が一滴に溶けている、という感覚を呼び覚ます。だからこそ、猛暑の東京であっても、私たちは冷たいグラスを求める。冷たさが、二万二千五百ドルの価格より、もし少しだけ私たちの喉の奥を潤してくれるとすれば——それは、温度というよりも「密度」の問題なのだろう。

今夜、あなたが選ぶべき一本

もし今夜、一人で、または大切な誰かと、グラスを持つ時間を予定しているなら、私は次のいずれかをお勧めしたい。

まず一本目は、『Stag’s Leap Wine Cellars, S.L.V. Cabernet Sauvignon』。クリスティーズの今回のレコードが記憶に新しい今、少しだけ背伸びをして、現行ヴィンテージである二〇一七年あたりを選んでみるのは、夏の夜の終わりの良い余韻になる。ナパの猛暑で育った葡萄は糖度が高い。猛暑の東京で飲む私たちの舌にも、その力強い果実味が素直に届くはずだ。

二本目は、『Château Mouton Rothschild』。五〇年という年月のなかで、パリ裁判の勝者たちがボルドーを訪問し、二人の蔵元がお互いの畑を讃え合ったという実話がある。ボルドーとナパが敵対するのではなく、現在進行形で互いの偉大さを認め合っているという事実が、この夏を少し涼しくしてくれるだろう。

三本目は、もし予算が許すなら、『Domaine de la Romanée-Conti, Richebourg 1990』。今回のクリスティーズでStag’s Leapと並んで高額落札された一本。所有欲の充足は、そのまま所有に伴う責任の充足である。グラスに注いだ瞬間、あなたは自分の舌で時間をテイスティングする、小さな試験官になる。

注がれるべき物語として

猛暑の東京で二万二千五百ドルのグラスを想う。それは消費の話をしているのではなく、テイスティングの話である。液体には決して還元できない「記憶と物語の密度」が、グラスという容器のなかで、他ならぬあなたの午後を満たしてくれる。

今夜、注ごう。五〇年前の勝負を越えて、グラスの中で今もなお対話を続ける二本の葡萄の木が、それぞれの言葉であなたの夏の一日に静かに乾杯を返す。八月の東京で聴く、その小さな音は、きっと忘れがたいものになるはずだ。


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