シチリアの太陽は、なぜ秋の今こそ飲まれるべきか

土曜の朝、薄着の袖口から
十月十七日、土曜日。東京の朝はまだ冷え込みをためらっていて、玄関を开けた瞬間に、夏の残滓と秋の先触れが同時に肌をかすめる。こういう日に限って、クローゼットの中で「今日はどっちだ」と迷う。薄手のカーディガンを腕に通しながら、ふと思うのだ。季節は一気に変わらない。昼と夜のあいだで、太陽は毎日少しずつ南へ引き下がっていき、私たちはその落差を、朝の一枚で感じ取る。
そんな朝の空気に、ふっと重なるのは「まだ夏を知っている土地」のワインだ。Wine Enthusiastが今年の「インターナショナル・ワイン・リージョン・オブ・ザ・イヤー」に選んだのは、シチリアだった。選定理由として掲げられたのは、なんと「無類のおもてなし」である。ぶどうの品質でも、投資環境でもなく、 hospitality。地中海最大の島、エトナの火口を望む斜面、三方向を海に囲まれたこの島が、いま世界のワイン地図の中央に座っている。
シチリアという「太陽の記憶」
シチリアは長いあいだ、安くて量がとれる南の島という役割を背負わされてきた。バルクワインの供給源。ブレンドの下地。しかし過去二十年、この島は驚くべき転回を行った。土着品種の再評価──ネロ・ダーヴォラ、ネレッロ・マスカレーゼ、カラベッレ、グリッロ。それらはかつて自分の名前すら叫べなかった品種たちで、いまはそれぞれの村の名前とともに、ボトルの肩に堂々と刻まれている。
特に注目したいのは、海抜一千メートル級の高度で育つワインたちだ。エトナ・ロッソは、黒い火山砂と断崖のテラスでつくられる。昼は強い陽射し、夜は山の冷気。この激しい寒暖差が、普段は熱っぽくなりがちな南のぶどうに、異例なほどの緊張感と酸を与える。つまりシチリアの赤は「南国の、くねくねとした甘さ」ではなく、火の山が昼と夜のあいだで織りなすリズムそのものなのだ。
今こそ、という理由
なぜ秋の土曜にシチリアなのか。理由は単純で、この時期の食卓がいちばん「シチリア的な気分」を拾いやすいからだ。紅鮭やキンメダイ、秋刀魚の塩焼き、リンゴとセロリのサラダ。夏の魚はもっと青く、冬の魚はもっとこってりしている。この移行期の中途半端さこそ、熟成した南の赤の柔らかさと不思議に噛み合う。
具体的三品を挙げよう。まず「ネポ、ヴィニャ・ランタ・ネロ・ダーヴォラ・リゼルヴァ」。パレルモ近郊の老樹から、煮果実と干し草、ほのかに香草。価格は三千円台から四千円台で、シチリアの実力を最短距離で味わえる入門最適株だ。次に「プランエタ、セッジョエル・ロッソ」──エトナの斜面。酸は鋭く、鉄っぽいミネラルと沈丁花にも似た香りが立ち、秋に咲く花のよう。最後に白を一つ、「ドンナフガータ、グリッロ・シドサ」。シチリアの白がここまで洗練されたかと驚かせる一本で、塩気のある前菜や秋刀魚の脂に強い。
おもてなしとは、開け方である
「無類のおもてなし」という評価に、最初は少し違和感があった。ワインの賞に、 hospitality という言葉が入るのは、なんだかぬるい、と。しかし考えてみれば、この評価は的確すぎるかもしれない。シチリアの生産者たちは、ブドウを売るのではなく「島の時間」を売っている。家族の食卓の写真を一緒に見せてくれる。醸造所の庭でとれたオレンジを剥いてくれる。そういう細部が、ボトルの中にまで染み出している感覚は、飲んでみると確かにある。
秋の午後、日が傾いて部屋の空気が一段下がる時刻。コルクの音を立てて、シチリアの太陽を出してみる。一口含めば、そこには十月の東京の続きではなく、別の経度の午後があった。季節は一度に変わらない。けれどグラスの中でだけは、今夜すでに対岸にいることができる。土曜の夕方にだけ許された、少しだけ贅沢な時差ぼうけ。まずは三千円台のネロ・ダーヴォラから、今日は始めてみてはどうだろう。







