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盗まれた八億円は、誰の乾杯にもならない──三連休前の晴れ土曜、泥棒は紙パックに敗れる

目の記念日の昼下がり、家族の目は棚の上を往く

十月十日、土曜。東京はどこまでもよく晴れ、最高気温は二十五度に届くか届かないか、最低は十五度前後。湿度は七割弱、風は弱く、降水の心配はほとんどない。かつて体育の日はこの日に固定され、二〇〇〇年から第二月曜へ移ったが、日付そのものはもう一つの顔を持ってきた。「目」の字を縦に分けると一と〇の組に見える——そう覚えられた目の記念日である。連休の前の昼だから、家族はそれぞれの目で棚の上を見て、今夜の食卓を決める。どの瓶を開けるかは、光の中での選択だ。この些細な光景の意味を、今日は少しだけ手厳しく考えたい。ワインの価値は、その光の中にしか存在しないからである。

八億円が消えた朝、そして残った「無」

朝のニュースに、世界の裏側の話が走った。共同通信の報せによれば、イタリアの有名ワイナリーで高級ワイン三万本が盗まれ、被害は八億円に上るという。三万本。一箱に収まらない量が、夜の物置から消えた。ここには鋭利な逆説が潜んでいる。盗んだ八億円は、泥棒の手元で八億円として動かない。高級ワインは瓶ごとに生まれの証明を持つ価格であり、書類のない瓶を三万本一気に流す道など、この世界にほとんど存在しない。裏市場で売れるのは定価の一割前後という見聞は古くから語られるが、要するに泥棒が実質的に手にしたのは、光を失った液体と、運び出す手間の重さだ。盗まれたのは価値そのものではなく、むしろ瓶を守る側の人の夜だった。その手間だけが痛い。

ワインの値段は「履歴書」の上しか動かない

泥棒が奪えないものを、瓶の側に置く。イタリアでは珍しい、単一の生産者の単一のワインのために生まれた呼称とされるDOCサッシカイア。テヌータ・サン・グイドのこの赤は、ボルゲーゼ家の郊外の別荘で生まれた遊び心が、六十年足らずのうちに一国の法定規格になったという履歴を背負う。価格の源泉はブドウの前に、この来歴にある。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノならば、収穫から五年を要する熟成規定が、瓶ごとに出荷の記録を残させた。歴史あるビオンディ・サンティの蔵には、開けられることのない書斎のような瓶列が並び続ける。オークションの世界で証明書が神聖視されるのも同じ理由だ。受け渡しの場では、裏ラベルの来歴という瓶の目の色までが検められる。原産地の証明、書類、温度の記録——値札の数字はこの履歴書の上にしか印刷されない。盗品は履歴書を捨てさせず、ただ白紙を見せる。

誰も盗まない紙パックは、誰のものでもある

一方、価値の反対側に立つ新聞記事も今日届いた。ファミマルで初めて紙パックで登場するイタリアのオーガニックワイン、カヴィロのタヴェルネッロである。今日は缶詰の日でもある。保存の科学が生んだあの頑丈な器の時代から、ワインはいっそう安らかな形状へ降りてきた。誰もこの紙パックを盗まない。だが誰もが今夜これで幸福になれる。泥棒は八億円の瓶列を運び出したが、乾杯を盗むことだけは一度も成功していない。最も高価なワインは実は最も自由でなく、最も安直なワインはいまこの瞬間にすべてを使い果たす。ワインの価値は二つに分かれ、一方はセラーの暗さに、他方は食卓の明るさにだけ置かれる。

三連休の食卓には、履歴書と手触りを半分ずつ

連休前の食卓の相談を一つ。秋の夜は長く、肉の甘みが欲しくなる陽気だ。ボロネーゼのパスタや牛すじの煮込みには、ロッソ・ディ・モンタルチーノを用意してみたい。同じ丘の畑を分け合う弟分で、熟成規定は兄の五分の一ほど。価格は手に取りやすいのに、風味の地形はブルネッロに似る。サッシカイアの一本を用意するなら、それは連休の主役だ。土曜の夜が早々に終わらず、日曜の昼に余韻を残す。公園や山道の昼弁当には、紙パックの一杯で十分である。軽さもまた、選ばれうる価値だ。泥棒の目を盗むのではなく、自分の目の記念日として、瓶列をまんべんなく眺める土曜にしたい。

最良の防犯は、光の中で開けること

つまるとおり、泥棒から守る最良の方法は、光の中で開けてしまうことだ。バスクの酒窖が十万余本を所蔵し、博物館のように観られているという報せも今日の話題のひとつだが、観光の光は盗難の影とは相容れない。棚が光を浴び、家族の目が瓶を追い、グラスに液体が注がれた瞬間、瓶の価値は履歴書から乾杯へと引っ越す。その移動に成功した夜だけが、ワインの本当の勝ちである。三連休の初日、あなたのセラーがまだ暗いなら、一枚だけ引き出して光の下へ。八億円が動かない場所で、あなたの目に映る棚は今日も静かに息をしている。

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