白はなぜ、赤のように老いるのか ── 白リオハという「時間の逆説」

白はなぜ、赤のように老いるのか ── 白リオハという「時間の逆説」
九月二十二日、火曜。明日は秋分の日。暦の上で、昼と夜の長さが等しくなる日がやってくる。ここ数日の東京は朝晩の冷えがはっきりして、昼の残暑と夜の涼の差が大きい。日が暮れるのが早くなり、夕方の西の空が橙に燃えている時間が長くなった。昼と夜、光と闇、熱と冷え──二つのものが釣り合う瞬間とは、いわば「境界が溶ける」日である。
境界といえば、ワインの世界にも一枚の厚い膜がある。「リオハ=赤」という等式だ。スペインを代表する産地リオハの名刺代わりは、テンプラニーリョの深い色合いと樽香。世界のワイン地図の上で、リオハはあらかた「赤の産地」として理解されてきた。だからこそ、今週のワイン・エンスージアストの見出しは妙に心に残った。「Can White Rioja Break Through?」──白リオハは、その殻を破れるのか。
「無個性」と呼ばれたブドウの、十年
白リオハの主役はビウラ。スペインではマカベオとも呼ばれ、カバの原料としての方が知名度は高い品種である。発酵させたてのビウラは、実のところ驚くほど素っ気ない。酸は穏やか、香りは控えめ、果実味は中程度。「無個性」と評されたことさえある。
ところが、この地の老舗たちは、ビウラを「赤のように」醸してきた。アメリカンオークの大樽に長く寝かせ、清澄も濾過もほとんどせず、瓶詰め後も年月をかけて熟させて出荷する。代表格、R.ロペス・デ・エレディアの「ビニャ・トンドニア・ブランコ・グラン・レセルバ」は、樽熟成だけでおよそ十年。出荷されたとき、その「白」は琥珀色に変わっている。白い花や青い果実の香りではなく、ドライフルーツ、ナッツ、タバコ、革、そして熟成した赤ワインが放つ土と香辛料の深いアロマを帯びているのだ。
白なのに、赤のように老いる。これが白リオハの逆説である。一般的な白ワインの美学が「新鮮さ」と「果実香」にあるとすれば、白リオハの美学はその正反対にある。時間と酸化、そして色の褪せによって、むしろ深まる。赤ワインがタンニンと色の変化を手がかりに熟成を語るのに対し、白リオハは「琥珀に近づくほど円熟する」という、白の常識の裏側に立つワインなのだ。
老舗の白、四本
続けて、具体的な銘柄を挙げておきたい。
まず、前述のR.ロペス・デ・エレディア。ハロの駅前に建つ、百年を超す老舗である。十年熟成の「トンドニア・ブランコ」に対し、同じく樽で約四年を過ごす「ビニャ・グラボニア」は、白リオハの中間点を見せてくれる。蜂蜜とカモミール、ほのかな酸化香の下に、鋭い酸がしっかり残る。円熟というより「経年による緊張」の味わいだ。
ラ・リオハ・アルタの「ビニャ・アルダンサ」は、初ヴィンテージが近年と、白リオハ復権の新しい顔。ビウラにマルバジアをブレンドし、樽熟成を経た白で、モダンな精緻さとクラシックな樽香が同居する。伝統に新しさを足した一本だ。
マルケス・デ・ムリエタの「カペラニア」は、樽発酵・樽熟成の白として長い実績を持つ。豊かな果実味にリオハらしい樽の構造を着せた、華やかなタイプ。
最後は、CVNE(クネ)の「モノポール」。スペイン最古級の白ワインブランドで、樽熟成版の「モノポール・クラッセA」ではビウラの骨格が樽によって強化される。比較的手に入りやすい価格帯なのも、入門の一枚として見逃せない。
明日、釣り合う日
この時期、白リオハは食卓とも好相性だ。松茸の土瓶蒸しや栗の渋皮煮、鴨肉のロースト、きのこのクリーム煮。秋の素材が持つ甘みと土の香りは、酸化熟成した白のアロマと不思議なほど噛み合う。温度は「白だからと冷やしすぎる」のが禁物。13度前後、やや高めから始めてグラスの中でゆっくり上がらせる。抜栓後に数時間置くのもいい。老いたワインは、人と同じように、目覚めるのに時間がかかる。
明日、昼と夜は等しくなる。それは一日かぎりの出来事で、翌日からは夜が勝ち始める。光が褪せていく季節の入口に、わずかな寂しさを覚える人もいるだろう。けれど白リオハは、褪せることを恐れていない。色が琥珀へ向かうほど香りは深く、味わいは静かで長くなる。夏の白を飲み終えた季節、昼と夜の境界があいまいになる夜に、「白」の定義そのものを揺さぶる一杯を開いてみてはどうだろう。答えは、十年待った琥珀色の中にある。







