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酸は、山から降ってくる ── アルト・アディジェ、雲の上の白

九月二十一日、敬老の日。三連休の締めくくりの月曜だ。東京の朝はにわか雨に始まり、風が強い。南からの風が街の木々をざわつかせ、傘をさす手元をあおる。雨はやがて上がり、代わりに風が残る。夏の湿った南風とは違う、どこか研がれた風である。空は高くなり、光は硬くなっていく。初秋の空気は、あの石や森の匂いとともに、山のほうから降りてくる。

風と雨の日は、ワインの話も少し上空に持ち上げてみたい。今週のデキャンターでいちばん心を動かされた見出しは、DWWA 2026(デキャンター・ワールド・ワイン・アワード)をめぐるこの一文だった。「Mountain high: How Alto Adige became Italy’s white-wine star」──高みにて。アルト・アディジェはいかにして、イタリア白ワインの主役となったのか。

山が、白を鍛える

アルト・アディジェ。南チロルとも呼ばれる、イタリア最北端の産地である。国はイタリア、谷を行き交う言葉はドイツ語とイタリア語。ドロミテの岩峰が畑を見下ろし、ブドウは谷底の約二百メートルから、標高一千メートルに近い奥の斜面まで続く。イタリアなのに、アルプス。生産の六割を超えるのが白で、ピノ・ビアンコ、ソーヴィニヨン・ブラン、ゲヴュルツトラミネール、そしてアルプス仕込みのケルナーやミュラー・トゥルガウたちが、強い日差しと夜の冷えのあいだで研磨されている。

山は、白ワインに何を与えるのか。答えはシンプルで、酸である。標高が上がるほど昼夜の寒暖差は大きくなり、ブドウは糖を蓄える昼と、酸と香りを守る夜を、はっきり分けて生きる。熟れと張りが両立する。DWWAの審査員たちが称えたのも、濃さではなく精妙さだったはずだ。白ワインの本質は豊かさではなく酸の質である──山は、その質を毎年証明する工場なのだ。

まず注ぐべきは、この産地の古典。カンティーナ・テルラーノ「テルラーネロ・クラッシコ」。一八九三年創業の協同組合が手掛ける、ピノ・ビアンコを主体にシャルドネとソーヴィニヨン・ブランを合わせた白だ。青りんごと白い花、そしてテルラーノ特有の、磨いた石のようなミネラル。約3,800円。酸の芯がまっすぐに通って輪郭が崩れず、グラスの底まで透明感が続く。山の白の「本質」を最も素直に語る一本である。

二本目は香りの対極へ。カンティーナ・トラミン「ゲヴュルツトラミネール」。品種名の故郷とされる村トラーミンの生まれで、ライチとバラの、押しの強い香りがする。にもかかわらず口に含むと、山の酸がその華やぎをきちんと握り込めている。約4,200円。香りのワインを「甘いだけ」と片づける前に、一度この酸で再教育してほしい。

峡谷の国でも、山は白を鍛えていた

ここで視線を日本へ戻す。今週の国内ニュースに、山梨への日帰り旅を勧める記事が繰り返し現れた。「都心から二時間。日本一の渓谷美と至高の甲州ワインを五感で楽しむ」。昇仙峡のような渓谷の深さと甲州ワインという組み立て方が、驚くほどアルト・アディジェのそれと重なる。甲州は日本固有の品種で、皮は淡い桃色、酸は強く、味わいは静か。その静けさが輪郭を持つのは、涼しい夜の長い標高の畑で育ったときである。

その最右翼が、シャトー・メルシャン「丸山甲州」だ。山梨県北杜市、標高およそ六百メートルの単一畑「丸山」のブドウだけを使った一本。白い果実の香りとともに、雨上がりの山道のような清潔なミネラルが立ち、酸がまっすぐ最後まで張り続ける。約3,800円。アルト・アディジェがDWWAで証明した「標高の効力」を、隣同士に並べて確かめられる。山の白の国際比較は、机上ではなくグラスで行うべきだ。

齢を引き継ぐものたち

本日は敬老の日でもある。齢というとすぐ熟成の話になるが、今週のワイン界が実際に語っていたのは、もっと物理的な「受け継ぎ」の話だった。デキャンターは、歴史あるエステートが英国の買い手の手に渡り、プロヴァンスとロワールの畑が売り手側の高い需要に応えていると伝えた。長い時をかけて整えられた畑が、次の世代へ引き継がれる。畑の齢は、所有者が替わっても途切れない。

同じ週、英国を代表する批評家の一人マシュー・ジュークス氏(1967-2026)が、五十九歳で逝去した。氏が毎年まとめていた「百本」のリストは、多くの飲み手にとって買い物の地図であり続けた。人は去り、言葉だけが棚に残り、その言葉が次の誰かのグラスを決めていく。畑も言葉も、齢を重ねたものの価値は、受け手がいて初めて生き続ける。敬老の日とは、長寿を祝う儀式ではなく、長く生きたものから学ぶ姿勢のことなのだと思う。

本日の五本──風の強い夜の棚

最後に、本日のコラムで挙げた五本をまとめておく。いずれも「標高」か「齢」を手がかりに見つけた一本である。

  • カンティーナ・テルラーノ「テルラーネロ・クラッシコ」 ── アルト・アディジェの古典的ブレンド白。青りんご、白い花、磨いた石のミネラル。約3,800円。
  • カンティーナ・トラミン「ゲヴュルツトラミネール」 ── 品種名の故郷トラーミンの白。ライチとバラの香りを山の酸が引き締める。約4,200円。
  • シャトー・メルシャン「丸山甲州」 ── 標高約600メートルの単一畑から生まれる国産の山の白。静かな果実と清潔なミネラル。約3,800円。
  • アロイス・ラゲーダー「リフ・ピノ・グリージョ」 ── 同じアルト・アディジェの定番白。梨の果実味と引き締まった余韻で、入門に最適。約2,500円。
  • マストロベルナルディーノ「タウラージ・ラディーチ」 ── カンパニアの山の赤。夕食の肉料理に、齢を重ねた赤の張りを。約6,500円。

雨上がりの夕方、風が街の熱を運び去っていく。グラスに注いだ白から立ちのぼる酸の香りは、遠くドロミテの谷から降ってきたものだ。あるいは、車窓二時間の先の山梨から。標高の高い畑のワインを今日の棚に加え、その透明感に初秋の空気を重ねてみてほしい。酸は、山から降ってくる。

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