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一本の葡萄が国を語る——シュナン・ブランの逆襲と南アフリカの矜持





一本の葡萄が国を語る——シュナン・ブランの逆襲と南アフリカの矜持 – ワイン会ナビ

一本の葡萄が国を語る——シュナン・ブランの逆襲と南アフリカの矜持

2026年8月、東京。連日うだるような猛暑が続く午后、エアコンの効いた書斎でデカンター最新号の頁を繰っていると、ある一節が私の目を引きつけて離さなかった。「Chenin heyday: How one grape became South Africa’s star at DWWA 2026」。2026年のデカンター・ワールド・ワイン・アワーズにおいて、南アフリカのシュナン・ブランが文字通り「星」として輝きを放ったという報せである。毎年、世界各国から一万数千点ものワインが寄せられるこのコンテストで、単一品種がこれほど鮮烈に主役を張ることは稀である。

シュナン・ブランという葡萄は、それ自体、極めて素朴な出自を持つ。ロワールのシュシェ(Savennières)、ヴォーヴレイ(Vouvray)、そして南西フランスのコート・デュ・ロンやモントバジロンで何世紀ものあいだ栽培されてきた、白ワインの古典的品種である。その特徴は、蜂蜜を思わせる蜜性を帯びた果実味、濡れた石のような硬質なミネラル、そして驚くほど長期熟成に耐える酸の骨格。この酸の骨格こそが、後述する南アフリカでの運命を決定づけた。

しかし、そのロワールでの扱いは、時に「地味で、目立たず、美食家のみが知る品種」という域を出なかった。同じ白葡萄でも、シャルドネが持つ皇帝のような貫禄や、ソーヴィニヨン・ブランが纏う新緑の華やかさには遠く及ばず、シュナン・ブランはどちらかといえば伴奏楽器として黙々とその役を果たす存在だった。

その「伴奏者」が、表舞台に躍り出たのが南アフリカである。とりわけ、喜望峰(Cape of Good Hope)を抱え、大西洋とインド洋が交わるステレンボッシュ(Stellenbosch)やパール(Paarl)、スワートランド(Swartland)の産地帯は、シュナン・ブランにとって驚くほど相性の良いテロワールを持っている。これらの地域の土壌は、花崗岩と砂岩、そして頁岩が複雑に折り重なった分解能の高い地質であり、保水性と排水性のバランスに優れている。日照時間はロワールよりもはるかに長く、夏の猛暑はときに摂氏40度を超える。しかし、この過酷な気候こそがシュナン・ブランの潜在能力を極限まで引き出した。

なぜ南アフリカでシュナン・ブランが「星」になれたのか。その理由は、葡萄そのものの生理的特性と、人為的選択の妙が合致した点にある。シュナン・ブランは、晩熟品種であり、酸保持力に極めて優れている。灼熱の夏にあっても、糖度が急上昇する一方、酸の崩壊が遅い。この特性のおかげで、南アフリカの生産者たちは、過熟を恐れずに果実を樹上で長く育てることができた。結果として得られるワインは、熟した洋梨や黄桃を思わせる豊満な果実味を持ちながら、蜂蜜、金合歓、菩提樹の花を連想する蜜性の香り、そして南アフリカ特有の「ファイヤー・プレイス・フィニッシュ」と呼ばれる、暖炉の薪を思わせる温かく燻したような後味が、心地よい緊張感を持って口中に広がる。

2026年のDWWAで金賞から最高賞までを席巻した背景には、ケニャッタ・ピーターソン(Keniata Peterson)、そしてカルタ・カルテル(Karta Cartel)を率いるアスリ・アダム(Aslina Adam)といった新世代醸造家の存在がある。彼らは、かつての南アフリカワインが持っていた「ニューワールドらしい甘くて濃い」というステレオタイプから明確に距離を取った。醸造における介入を最小限に抑え、野生酵母による発酵、古樽での長期熟成、SO2の使用量も極限まで削る。結果として造られるワインは、南アフリカの大地そのものを映すかのような、透き通った純度を持っている。

具体的な銘柄を三つ挙げたい。一本目は、ステレンボッシュの老舗、ザイドル・プライベート・セラー(Zaidl Private Cellar)が手がける『Old Vine Chenin Blanc 1972』。樹齢50年を超える古樹から造られるこのワインは、蜂蜜と熟れた林檎のコンポートのような凝縮した香りを持つ。口に含むと、長い年月をかけて樹が地中深くに伸ばした根から吸い上げたミネラルが、舌の上で静かに響く。価格は決して安くはないが、それだけの年月と、それだけの風土がこの一本に封じ込められている。

二本目は、スワートランドの雄、マルク・ケント(Mullineux Family Wines)の『Schist Syrah-Chenin Blanc Blend』。本来、シラー主体のこの蔵が、近年シュナンを白でリリースし始めたことで業界が驚いた。花崗岩土壌がもたらす硬質なミネラルを、白葡萄の透明な筐体の中で表現する手腕は見事である。三本目は、マイケル・ワインブラット(Michael Wainblatt)率いるテトラパックの実験的リリース、『Swartland Skin Contact Chenin Blanc』。白葡萄を果皮と種子と共に発酵させるという、オレンジワインの手法をシュナンに適用した意欲作で、紅茶や干し柿のような酸化的な風味と、フレッシュな葡萄果汁の双方が同居する。

八月中旬の東京、夕暮れ時の蝉時雨がピークを迎えようとする頃、私たちは冷えたロゼやスパークリングに手を伸ばしがちである。しかし、今夜はぜひ、軽く冷やしたシュナン・ブランを試してほしい。十度ほどに冷やして、大きめのグラスに注ぐ。最初の一口で感じるのは、南アフリカの大地の熱と、大西洋から吹き上げる風の冷たさ、その二つが同じ液体の中で拮抗している事実である。一本の葡萄が、一つの国の矜持を語るとは、こういうことを言うのだろう。シュナン・ブランという、古くて新しい葡萄が、今、世界で最も正直なワインを造ろうとしている。


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