春のワイン会は、いつも少しだけ泣きそうになる

3月のワイン会が終わると、いつも少しだけ泣きそうになる。
べつに、悲しいことがあるわけではない。
むしろ逆だ。春のワイン会は、一年で最も明るくて、柔らかくて、希望に満ちている。
それなのに——いや、だからこそ、胸の奥がきゅっと締まる。
理由を、うまく説明できるだろうか。
春は「最後の回」の季節
ワイン会を何年も続けていると、3月と4月は特別な意味を持つようになる。
年度が変わる。人事異動がある。転勤がある。引っ越しがある。
つまり、春のワイン会は、誰かにとっての「最後の回」になりやすい。
先日の3月のワイン会でも、常連のCさんが開始早々にこう切り出した。
「実は、来月から大阪に転勤になりまして。今日が最後になるかもしれません」
Cさんは2年間、ほぼ毎月来てくれていた。最初はワインの「わ」の字も知らなかったのに、今では誰よりも鋭いテイスティングコメントを出す。ワイン会のムードメーカーで、初参加の人には必ず話しかけてくれる、そんな人だった。
「大阪でもワイン会、探します」と笑っていたけれど、その目が少し潤んでいた。

「いつものメンバー」は、永遠ではない
ワイン会の魅力の一つは、「いつものメンバー」の存在だ。
毎月顔を合わせ、一緒にワインを飲み、感想を言い合い、時にはくだらない話で笑い合う。会社の同僚でも、学生時代の友人でもない。「ワインが好き」というたった一つの共通点でつながった、不思議な関係。
でも、「いつものメンバー」は永遠ではない。
転勤、結婚、出産、介護、病気——人生には、ワイン会より優先すべきことがいくらでもある。来なくなる人には、それぞれの理由がある。そして、その理由は大抵、前向きなものだ。
分かっている。分かっているのだけれど、春に「今日が最後かもしれません」と言われると、やっぱり少し寂しい。
去る人がいれば、来る人もいる
ただ、不思議なもので、春は「最後の回」であると同時に「最初の回」でもある。
3月のワイン会には、Cさんの「最後」がある一方で、二人の「初参加」があった。
一人は、新年度から東京に引っ越してくる予定の女性。「まだ東京に知り合いがいなくて、何か新しいことを始めたくて」と自己紹介していた。去年のBさんと、同じような目をしていた。
もう一人は、定年退職したばかりの男性。「現役時代は忙しくてワインどころではなかったけど、これからは好きなことをしたい」と、少し照れくさそうに言っていた。
去る人がいて、来る人がいる。
その循環が、ワイン会を「生きた場所」にしている。

最後の乾杯は、いつも少し特別
Cさんの最後の回。
いつもどおりのワイン会を進めた。テーマに沿ったワインを開け、感想を言い合い、料理と合わせ、笑い合った。特別な演出はしない。それがCさんの希望でもあった。「普通に、いつもどおりの会にしてほしい」と事前に言われていた。
でも、最後の1本を開ける時——少しだけ特別なワインを用意した。
Cさんが初めてワイン会に来た日に、一緒に飲んだワインと同じ銘柄の、違うヴィンテージ。
注いだ瞬間、Cさんが気づいた。
「あ……これ、最初の日に飲んだやつだ」
「覚えてるんですね」と私が言うと、Cさんは「忘れるわけないじゃないですか」と笑った。目尻に、光るものがあった。
最後の乾杯。
「また東京に来た時は、いつでも」
「必ず行きます」
グラスがぶつかる音が、春の夜に小さく響いた。
ワインは「再会の約束」になる
Cさんが去ってから1ヶ月後。大阪から写真付きのメッセージが来た。
「大阪でワイン会、見つけました。でもやっぱり、あの場所が恋しいです。近いうちに東京に行きます」
添えられた写真には、大阪のワインバーで一人飲んでいるCさんが映っていた。手に持っているのは——あの日と同じ銘柄のワイン。
ワインは不思議だ。場所と時間を超えて、人と人をつなぐ力がある。同じワインを違う場所で飲むことが、「つながっている」という実感になる。
だから、春のワイン会で泣きそうになるのは、悲しみではない。
それは、「人と過ごした時間の重さ」を、ワインが教えてくれるからだ。

来月もまた、新しい顔に会える
4月のワイン会の参加者リストを見ている。
常連の名前に混じって、3つの「初参加」の文字がある。
どんな人だろう。どんな顔で、最初の一杯を受け取るだろう。
ワイン会は、小さな世界の縮図かもしれない。
出会いがあり、別れがあり、また出会いがある。
その全部を、グラスの中のワインが見届けている。
春のワイン会は、いつも少しだけ泣きそうになる。
でも、その涙の味は——たぶん、いいワインと同じくらい、豊かだ。