星と実、どちらが重いか ── ミシュランがボルドーを測る、収穫の九月

彼岸の入り前、星の知らせとブドウの香り
9月18日、金曜。暦は彼岸の入りを三日後に控えた頃合いで、朝の空気にはもうススキの穂先のような白さが混じり始めている。夜には虫の声が密度を増し、昼の残暑を思い出させる日射しも、射す角度だけは確実に秋へと傾いている。空気が澄み、月が美しくなる季節だ。そしてワイン好きにとって、この旬はなにより「収穫」の季節である。北半球のヴァンダンジュが始まる。日本でも群馬・榛東村のしんとうワイナリーに仕込みの甘い香りが漂い、村産の巨峰が圧搾を待つ。埼玉・小川町では、無農薬・無肥料という孤高の栽培を貫く杜氏のもとで、手塩にかけた実が刈り取られようとしている。
実が熟する極点の九月、ボルドーからは収穫とは別種の「知らせ」が届いた。食の権威ミシュランが、新たな「Grapes(ブドウ)」セレクションを設け、ボルドーのシャトーを格付けしたという。星が、城に降る季節である。ワインの世界で星といえば、まずロバート・パーカーの点数が思い浮かぶが、今回は趣が違う。ミシュランが測るのは瓶の中ではなく、シャトーという「場所」そのものだ。つまりこれは、ワイナリーがワイナリーたるをやめ、旅の目的地として採点され始めた、ということである。
格付けは、旅人のために生まれた
星とボルドーのあいだには、実は深い血縁がある。ボルドーを最初に格付けしたのは1855年、ナポレオン3世のパリ万博に遡る。万博を訪れる世界中の旅人に自国のワインを選ばせやすくするため、ボルドー商工会議所が仲買人たちに命じて優劣のリストを作らせた。それがあの不滅の1855年格付けである。級位の序列はともかく、その発想の起点は「遠くから来る人への案内」だった。旅行ガイドとして生まれた格付けは、170年かけて制度そのものになった。
同じ論理でいえば、ミシュランの星も旅の産物だ。1900年、タイヤ会社が自動車旅行を促すために無料の冊子を配り始め、「旅の価値がある」場所に星が灯るようになった。タイヤの星はレストランを照らし、いまシャトーを照らす。星とは何かを突き詰めれば、いつだって「人を遠くへ運ぶための装置」である。1855年の級位も、ミシュランの星も、原点は驚くほど似ている。旅人を、土地へ。畑へ。テーブルへ。
紙の上の不動、土の上の変動
だが、紙の星と土の実とでは、重さが違う。1855年の級位は170年ほとんど動いてこなかった。大きく動いたのはムートンの1973年昇格くらいで、ボルドーは「紙の上で不動」の産地と言われてきた。ところが畑の上では、変動が止まらない。1級シャトー・オー・ブリオンは、1663年に日記作家サミュエル・ピープスが「Ho Bryan」と書き留めた、ボルドー最古のスター銘柄である。一方、5級のシャトー・ポンテ・カネは、馬を畑に走らせ、バイオダイナミクスへ突き進み、いまやその価格はとうに級位を飛び越えた。「紙の格付け」と「土の実力」のズレは、欠陥ではなく、むしろこの産地の生命力の証明だ。歴史あるエステートが英国のバイヤーの手に渡っていくプロヴァンスやロワールのニュースも、同じ空気を語っている。城の価値は、紙の序列ではなく、その土地への渇望で測られ始めている。
今夜は、級位の均衡を飲む
ならば今夜は、星を仰ぐ前に、実の重さを飲んでみよう。まず手に取りたいのが1855年2級レオヴィル・バルトン。サン・ジュリアンの鉄壁の中核で、1級に引けを取らぬ品格を「級位のままの価格」で置いてある、均衡の傑作である。カシスと鉛筆の芯、しっとりしたタバコの香りが、彼岸の入り前の夜気にぴたりとはまる。日常ならシャトー・ブラーヌ・カントナック。ブレイの丘で、格付けの外側から静かに実力を積む一本だ。濃くて素直な果実味は、焼いた牛肉や秋鴨の脂をすっと切っていく。夢を見る夜には、オー・ブリオンか、ポンテ・カネか。星が灯る前から、グラスの中には170年分の答えが沈んでいる。
彼岸花の並ぶ道を歩きながら考えた。星と実、どちらが重いか。答えはミシュランの手にも、1855年の帳簿にもない。今まさに鋏を入れる、畑の朝にある。ミシュランがシャトーに星を灯す九月、ボルドーの空では誰もが、まず一房の重さに手を貸している。格付けは旅を売る。だがワインは、旅より先に、土から始まる。その順番が崩れない限り、星はいくつ灯っても、ボルドーはボルドーであり続けるだろう。







